臨床心理学の理論に絶対なんてものは無いんだよぅという話

最近Twitterに力を入れ始めたんですけれども、

Twitterの世界はなんかほんとすごくて、

嘘か誠かわからない自称精神科医の人が、
患者さんをバッシングしたりするんですね

(たぶんニセモノだと思うのですが)

 

で、

そのバッシングの道具に使われているのが
「アドラー心理学」だったりするのです。

 

アドラー心理学は、私も好きで、
カウンセリングでも機会があれば使うのですが、

一部のネットユーザーは、
アドラー心理学を「他者批判の道具」
として使っているようなんですね。

 

で、そういうよろしくない使い方のことを

「アドラー棒を振り回してマウンティングする」

などと言われているようなんです。

なかなかいい感じの響きですよね。

 

さて、そういうのを最近目のあたりにして、

「私も臨床心理学の理論を振り回してマウンティングする人にマウンティングをしようかなぁ」

と思い立って、
このコラムを書いてみることにしました。

 

このコラムで使えたいことはただ一つ

「臨床心理学の理論に絶対なんてものは無いんだよぅ」

ということです。

 

 

心は物質的に存在しない

まずこのことについて語る前に、

大前提として
語っておかなくちゃいけないこと
があります。

 

それは

「心は物質的に存在しない」

ということです。

 

これは説明する必要もないかもですが、

人間の体のどこかに
「心」という臓器があって

それが物理的に傷つくと、
精神的な不調になる、

ということはないということです。

 

心臓にも脳にも、
心を司っていると思われる箇所は
存在しないんですね。

 

でもなんか知らないけれども、

「心」を自分は持っているし、

自分だけじゃなくて他の人間も
(いやもっというと人間以外の動物も)

「心」を持っている

…という確信がある。

 

これを自閉症の研究とかだと

「心の理論」

と言ったりするんですけれども、

ともかく、
我々は物質的には存在が認められない「心」が

存在すると仮定して生きている訳です。

 

つまり心っていうものは
「仮想概念」なんですね。

ヴァーチャルなんです。

 

あくまでも、

その人の主観で理解されているのが
「心」という概念であって、

これは決して

客観的絶対性を持ったものでは無いんです。

 

したがって、

そもそも仮想概念である「心」に
「絶対」なんてことはあり得ないんですね。

 

ですから、

心理カウンセリングでは
「その人の主観」というものを
ものすごく大事にして、

対話を通して

「相手の主観」を常に確認しながら

進めていくのです。

 

 

心に絶対はない、理論にも絶対はない

「絶対」のない心ですから、

心をより良い方向に進めるために考えられた
臨床心理学の理論にも「絶対」はありません。

 

世の中には無数の心理療法の理論が存在して
「アドラー心理学」もその一つですが、

心理療法の理論というものは

「こう考えたら、なんかうまくいくんじゃね?」

という程度のもなんですね。

 

そりゃ、

うまくいく人もいれば、

うまくいかない人もいるわけです。

 

専門家の間では、
エビデンスということも騒がれていて
「実証科学に基づいた心理療法を」
などと言われていますが、

これだって、
統計的に「より良い」というだけであって、

「100%絶対に良くなる心理療法」
なんて存在しないですからね。

 

たとえ99%の人に効果があっても、
残りの1%の人には効果がないわけです。

 

結局は

「うまくいく人もいれば、うまくいかない人もいる」

という話です。

 

だからこそ、
プロの心理カウンセリングでは、

相手に理論を押し付けるのではなく、

相手の感じ方を大切にして、

それに合わせて
理論の方をアップデートしていくのです。

 

そもそも、

心の助けになるための臨床心理学の理論で
逆に苦しくなる人がいたのなら、

どう考えても、

おかしいのはその理論の方ですよね。

(あるいは理論の「使い方」がおかしいか)

 

心について「絶対に○○」はあり得ない

ということで、

人間の心について

「絶対に○○」ということはありません。

 

もしそういうことを言う人に当たってしまったら、

「心を取り扱うという」ということを
履き違えていらっしゃる方なので、

そっとブロックして差し上げれば良いかと思いますよ。