嫉妬してしまう自分への対処法

今回は、
当サイトに届いたリクエストについて
お答えさせていただきます。

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ご質問

大学で上京し一人暮らしをして28歳になります。

今、自分の状況にとてもストレスを抱えています。

職員が減る一方で業務もマンネリ化している今の仕事から転職したいけどなかなか活動に身が入らない、

この歳で彼氏もいない自分は、
一つ上の姉(想った相手と結婚し子供を授かっている)
とすぐ比較してしまいます。

今日、その姉から
「夏はいつ帰ってくるの?」
とメールがありました。

正直、帰りづらいです。

お腹の大きな姉のことを羨ましく思ってしまうだろうし、姉に心無い態度を取ってしまいそうで怖いです。

前回も帰省したのですが、幸せそうな姉と同じ空間にいることが辛いです。

どうしたらいいでしょうか。

 

 

臨床心理士の回答

仕事も恋愛もうまくいかない自分と
幸せそうな姉とを、
どうしても比較してしまって
辛くなるのですね。

 

人と自分を比較をして
そのことで辛くなる…

そういう心の動きが、
私たちにはあります。

それは「嫉妬」とも言う、
ごく一般的な感情です。

なぜ嫉妬するのか?

なぜわたしたちは、
自分よりも優れている人や、
恵まれた環境にいる人に、
嫉妬の感情をいだくのでしょうか?

 

実は、

人間は比較するだけでは、
辛くはなりません。

 

例えば、
爪が伸びるスピードは様々ですが、
人より爪の伸び方が遅いからといって、
それで辛くなる人はほぼいないでしょう。

 

なぜなら、
爪の伸びるスピードが遅いからといって
そこに大して意味がないからです。

 

もっというと、
爪が伸びるスピードに優劣はありません。

 

爪が伸びるスピードが早いからといって
「私よりも優れている」
と思う必要はないですし、

逆に遅いからといって、
「自分の方が劣っている」
と感じる必要のない事柄です。

 

Clker-Free-Vector-Images / Pixabay

 

比較して、辛くなるということは、

比較して見えてきた差に、
自分自身で優劣をつけて、
そこから「自分は劣っている」
と考えるから。

そしてさらに
「自分は劣っている」
と思うことについて

「そんな自分はダメだ」

と否定的な感情を抱くから、です。

 

比較することが辛いのではなくて、
比較したことによって、

「劣っているダメな自分」

を感じることが辛いのです。

 

嫉妬というと、
まるで相手から
不快な感情を受けているように
誤解されることが多いのですが、

嫉妬という感情は、
自分の中から出てきたものです。

 

実は、
嫉妬している相手は関係ありません。

質問のお話で言うと、
お姉さんは関係ないのです。

 

 

劣等感との付き合い方

では、その
「自分は劣っている」
という感覚と、

私たちは、
どのように関わっていくと
良いのでしょうか。

 

アドラー心理学では、
この
「自分は劣っている」
という感覚のことを

「劣等感」

と呼びます。

 

そしてこの「劣等感」は、
自分をより望ましい自分にするために
必要不可欠な感情と考えています。

不要な感情ではありません、

必要不可欠な感情です。

 

Pexels / Pixabay

 

劣等感のない世界

どういうことなのか、
ここで一つ想像をしてみましょう。

もし「劣等感」を感じなければ、
どうなるでしょう?

 

おそらく積極的に
仕事をどうにかしようとも思いませんし、
彼氏をつくろうとも思わないでしょう。

 

もちろん、
今より良い条件の仕事が目の前に来たら、
転職するかもしれませんし、

大好きな人が現れたら、
お付き合いするかもしれませんが、

劣等感がなければ、
自らそれを追い求めることはありません。

 

姉と会っても、
特につらくなることもなく

現状に満足をして、
今までの生活を
これから先も続けることになります。

そういう人生もあっていいでしょう。

現状に満足できるということは、
とても幸せなことです。

ある意味、
人生の到達地点かもしれません。

 

Free-Photos / Pixabay

 

…けれども、

「このままでは嫌だ」

と思う人生も
一方では、あっていいのです。

 

そう思うことで、
人はより自分の望む未来へ
向かっていくことができます。

それを推し進める感覚が、
「劣等感」です。

 

「劣等感」は
自分をより望む自分にする
「原動力」です。

劣等感がなければ
人は現状に満足し、
それ以上は変化しようと思いません。

 

劣等感があるから、
このままではダメだと思い
次の自分に変わることが出来るのです。

「劣等感」という感覚は
実は非常に建設的な感覚です。

劣等感は、あって良い感情なのです。

 

cuncon / Pixabay

 

…さて、ここまで読んで

「なーんだ、人と比較することはダメなことじゃないんだ」

「自分はまだまだだな、と思うことも時には必要なんだ」

と納得できるのであれば、この先のコラムは必要ありません。

スッキリしたところで、
このページを閉じて、
夏の楽しい計画を立てるとよいでしょう。

 

…けれども、
「そんな簡単な問題ではない」
と、もしかしたら思われるかもしれません。

 

この先は、

「そうは言っても、辛いんだけれど…。」

という人のためのコラムです。

 

劣等コンプレックス

「劣等感」が
必要な感覚だということはわかっても、

それでも、
それを感じることが辛くて仕方ない…。

 

頭ではわかっていても
心は反応してしまう…。

 

人間の心は、
それほど単純なものではありませんね。

 

なぜ「劣等感」を感じると、
「自分は劣っている」と思うと、
人は辛くなるのでしょうか…?

実は、
「劣等感」という感覚そのものは、
人を苦しめるものではありません。

 

例えば、
私はゲームが好きなのですが、
新しいゲームをプレイするときは、
毎回とても下手くそなところから始まります。

レースゲームをするにしても
最初は全く勝てません。

対戦ゲームもそうです。

そういう経験をすると
「自分はまだまだだな」
「下手くそだな」
と思います。

これは「自分が劣っている」という感覚。

まさに「劣等感」です。

けれども、
「劣等感」を感じながらも、
私はそれで苦しむことはありません。

「悔しい!」
「もっとうまくなりたい!」
とは思いますが、

「自分はダメな人間だ…つらい」
などとは思わないのです。

つまり、

劣等感を感じること、
苦しくなることは、
イコールではありません。

「劣等感」と「苦しみ」は
本来別の要素なのです。

 

ではなぜ、

他人と自分を比べて、
自分が劣っていると思うと、

苦しくなる場合があるのでしょうか?

 

それは、その領域で、
自分が劣っていると思うことが、
自分自身で許容できないからです。

 

ゲームで劣っていることは別にいいけれども、

恋愛で劣っていることは許容できない

 

そういう許せない感覚が、
自分自身の中にあるから、
その許せない感覚が触発されて、
辛くなるのです。

 

その根本にあるのは、
自己に対する要求と否定の心理です。

「恋愛をうまくやらなければならない」
(恋愛ができない自分はダメな人間だ)

「仕事を充実させなければならない」
(仕事を充実できない自分はダメな人間だ)

 

こういった感覚が、
本来は苦しくなるはずのない
「劣等感」に絡み合って、
苦しいものにしているのです。

 

こういった、
劣等感と絡み合った
つらい感覚のことを、

アドラー心理学では

「劣等コンプレックス」

と呼んでいます。

 

人は劣等感があるから、
辛くなるのではありません。

劣等感によって、
自分のコンプレックスを感じるから
辛くなるのです。

 

Radoan_tanvir / Pixabay

 

「姉が幸せそうにしているのは羨ましい」

「それに比べて私は、彼氏もいないし、仕事もイマイチだし、まだまだだなぁ」

「だから、私も幸せになれるように、仕事も恋人探しも頑張ろう」

…と素直に思えるれば

それは「劣等感」は感じているけれども、
「劣等コンプレックス」は感じていない状態です。

 

この状態に自分を持っていくことができれば、
羨ましい姉と会っても
嫌な気分になることはありませんし、
逆に「私も頑張ろう!」
と、そこから活力を得れるかもしれません。

 

もしあなたが、
ちょっと考え方を変えることで、
この状態にご自身を持っていくことが
出来るならば、

ここから先のコラムは必要ないでしょう。

それはご自身で
「劣等コンプレックス」
を克服できたということですから、

ここでページを閉じていただいても
全く問題はありません。

おそらく、
今までとは違う見方で、
お姉さんと会ったり、
仕事に取り組んだりできるでしょう。

 

この先のコラムは、

「そんなに簡単に切り替えられない…」

と思う方のために書かれたものです。

ありのままを受け止める

人間の心は、
たとえ自分の心でさえ、
思い通りに動かせるとは限りません。

上記のように思おうとしても、
自分の中のドロドロとした思いが湧いてきて
どうしても
「姉が憎い」「自分はダメだ」
などという思いが、勝手に浮かんできてしまう…

そういうことが、心の中では起きます。

 

こういった、
自分の意思とは無関係に
勝手に湧いてきてしまう思いのことを、

心理学では「一次意識」と呼びます。

 

一次意識は、
自分の意思とは無関係に
浮かんできてしまう思いですから、

自分の意思で、消したり、
変えたりすることも出来ません。

 

では、どうしたらいいのか…?

 

ひとつの方法は、

その思いを、
ありのままに受け止める

ということです。

 

「姉が憎い」と思うなら
「私は【姉が憎い】と思っているんだ」
と受け止める。

「自分はダメだ」と思うなら
「私は【自分はダメだ】と思っているんだ」
と受け止める。

 

「こういうことに、私はコンプレックスを抱えているんだな」
と、そのままに受け止める。

 

もし、受け止めたくなかったら、
「受け止めたくないんだな」

認めたくなかったら、
「認めたくないんだな」

 

浮かんできた思いは、
良いことも悪いことも、
とりあえず全部、
受け止める。

 

そうしているうちに、
少しずつ、
自分の気持ちが収まっていきます。

これを

「一次意識の沈静化」

と呼びます。

 

TanteTati / Pixabay

 

沈静化というのは、
消えたり、変わったりすることではありません。

心の中にはその思いは有るのだけれども、
暴れていない状態、
収まっている状態
になるということです。

無くすことはできないので、
せめてそっとしておこう…
という発想です。

そして、
そうすることで私たちは、
「選択の余地」
を得ることができます。

選択の余地

ドロドロとした一次意識は、
自分の意思では、
消すことも、
変えることもできない思いです。

けれども、一方で、
私たちの心には、
自分の意思で調整できる思いもあります。

 

「姉が憎い」と思った時に、
これを打ち消すことは出来なくても、

それはとりあえず置いておいて

「それでも我慢して会っておくか」
と思ってみることは出来ますし、

「今年は会わないでおくか」
と思ってみることも出来ます。

 

この思いは、
勝手に自分の中に
浮かんでくる思いではなく、

自分が自分の意思で
「そう思おう」
として思う思いです。

 

この思いを心理学では

「二次意識」

と呼びます。

picjumbo_com / Pixabay

自分の意思とは無関係に
勝手に浮かんでくる
「一次意識」に対して、

二次的に
「こう思おう」
と自主的・主体的に思う思いです。

 

一次意識は、
自分の意思で変更することは出来ませんが、

二次意識は、
自分の意思で自由に思うことができます。

「我慢して会うか」と思うことも、
「今は会わない」と思うことも、

どちらも自由です。

 

二次意識は、
自分の意思で、自由に創造し、
そして、選択できる意思です。

 

自分のコンプレックスと
どのように付き合うのか、

そして、
それが影響した現実の関係と
どのように付き合うのか、

これは、
すべて自分で選択できる問題です。

 

一次意識である
コンプレックス自体を
どうこうすることは出来ませんが、

コンプレックスを抱えながら
「どうするか」を選択することはできます。

コンプレックスを抱えながらも
劣等感に取り組むこともできるし、

コンプレックスが見えないように
コンプレックスとは無縁の世界で
生活することもできます。

そうしているうちに、
コンプレックス自体が
どうでもよくなってしまうこともあるでしょう。

そういうことは珍しくありません。

ただし、それには
時間がかかるかもしれませんし、
正直いつになるかも検討がつきません。

けれども、その間も、
あなたはコンプレックスに縛られることなく、
自分の自由な意思で、

自分の行動を選択して、
実行することができます。

その「選択の余地」は、
常にあなたの手の中にあるのです。

Pexels / Pixabay

さて、ここで質問の最後の一文に戻りましょう。

最後の一文は、

「どうしたらいいでしょうか」

でしたね。

 

残念ながら、
私にはその答えは見えません。

 

けれども、
ここまで読んだあなたには、
その質問の答えが、
答えになりうる選択肢が、
いくつか見えているはずです。

 

あなたの手の中にある
選択肢の一つを、

選んでみてください。